「地中海の守護神」と呼ばれた日本艦隊 攻撃受けた連合軍船舶から7千人を救助した
【知られざる第一次世界大戦の偉業】
第一次世界大戦(1914~18年)の開戦当初、ヨーロッパ大陸では塹壕戦が長期化していた。これを打開するため、連合国から日本に対して陸軍部隊の派遣要請がきた。だが、日本政府は国益の遠く及ばぬヨーロッパ大陸への陸軍部隊の派遣を拒否し続けた。
だが、日本は17年1月、同盟国・英国の強い要請で、地中海などへの艦隊派遣を決定する。任務は、ドイツ・オーストリアの潜水艦による攻撃から、連合国の輸送船を守る船団護衛であった。
こうして編成された「第1特務艦隊」は、英領シンガポールを拠点として東南アジアやインド洋の通商保護にあたった。そして、「第2特務艦隊」は最前線の地中海に派遣された。同艦隊の活躍は目覚ましかった。
17年、英輸送船「トランシルバニア号」が地中海で魚雷攻撃を受けたとき、日本の駆逐艦「榊」と「松」が、捨て身の救助活動を行い、約3000人を救助した。のちに英国王ジョージ5世は、第2特務艦隊の士官7人、下士官20人に勲章を授与した。さらに驚くべきは、日本海軍の偉業と功績が英国下院で報告されるや、議場は歓呼と拍手に包まれ、日本語で「バンザイ」が唱和されたというのだ。
日本艦隊は、洋上で敵潜水艦を発見するや、勇猛果敢な爆雷攻撃でこれを撃沈し、敵の雷撃で航行不能になった輸送船を、敵潜水艦と交戦しながら身を挺して護送した。あるときは、護衛する輸送船を狙う魚雷に向かって突進したという。
各国海軍は、自らを犠牲にしてまで輸送船を守り抜く日本海軍の姿にいたく感銘し、畏敬の念を抱いた。
こうして日本艦隊は、輸送船など約800隻の連合軍の船舶を護送し、兵員約70万人の輸送を助けた。そして、敵潜水艦の攻撃を受けて海に投げ出された連合国の兵士や看護婦ら約7000人を救助したのである。
見事な護衛ぶりから、第二特務艦隊はいつしか「地中海の守護神」と呼ばれるようになり、護衛依頼が殺到した。
17年6月11日、前述した駆逐艦「榊」が魚雷攻撃を受けて大破し、59人の戦死者を出した。この59人と、そのほかの殉職者を合わせた78人の戦没者の遺骨と遺灰は、現在もマルタ共和国の英連邦軍墓地の中にある旧日本海軍戦没者墓地に埋葬されている。
この埋もれた史実を語り継いでいる、作家のC・W・ニコル氏は、第二特務艦隊の士官として地中海に赴いた片岡覚太郎中尉の著書『日本海軍地中海遠征記』(河出書房)の解説で、以下のように述べている。
《地中海をはじめとした地域での日本帝国海軍の尽力は、むろん数字の上では、イギリス、フランス、イタリア、アメリカ軍その他に比べると小さいとはいえ、戦争の流れを一変させたといえるのではないかと。彼らのおかげで形勢が変わったのだ。だから彼らの物語は、日本人だれもが誇らしく思っていい物語なのだ》
日本海軍が、連合国勝利に大きく貢献したという輝かしい史実を、果たして、どれほどの日本人が知っているだろうか。
■井上和彦(いのうえ・かずひこ) ジャーナリスト。1963年、滋賀県生まれ。法政大学卒業。専門は、軍事安全保障・外交問題・近現代史。「軍事漫談家」の異名も持つ。産経新聞「正論」欄執筆メンバー、国家基本問題研究所企画委員などを務める。第17回「正論新風賞」受賞。主な著書・共著に『東日本大震災 自衛隊かく闘えり』(双葉社)、『東京裁判をゼロからやり直す』(小学館新書)、『本当は戦争で感謝された日本』(PHP文庫)など多数。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180827-00000010-ykf-soci


日本の軍艦が地中海に行ったのは知っていたが、こんなに活躍してたとは知らなかった

震えきたわ(TдT)

かっちょいい・・・(TдT)

ほんとスゲーな(T_T)

第一特務艦隊のほうも、軽巡エムデンを追い詰めたりで、活躍しましたよ

ちなみに、この話にはおまけがついてて、日本海軍の運用実績を見込んだフランス海軍から注文を受け、樺型2等駆逐艦をベースにしたアラブ型駆逐艦12隻を輸出してるんよね。
こういった話こそ教科書に書くべきでは?


敵兵救助は第二次大戦の工藤俊作艦長が有名ですが
第一次大戦時代にそれを上回る救助劇があったことは知りませんでした。
他にも、エルトゥールル号や杉原千畝など、先人たちの善行をもっと歴史教育で取り上げてほしいものです。

どっちも日本人の方が知らないもんな
エルトゥールル号遭難事件
1890年、エルトゥールル号に乗ってオスマントルコ帝国の使節団が来日。明治天皇に拝謁した後帰国の途に就いたが、和歌山県串本町沖で同号は座礁し、581名が死亡。串本町大島の住人が必死の救助にあたり、69名を救出。その後日本海軍の巡洋艦でトルコまで丁重に送った。
すぎはら‐ちうね【杉原千畝】
[1900~1986]外交官。岐阜の生まれ。昭和14年(1939)リトアニア領事代理となる。第二次大戦中、外務省の命令に反し、ナチス‐ドイツから逃れてきた約6000人のユダヤ系難民に日本通過のビザを発給した。昭和60年(1985)イスラエル政府の「諸国民の中の正義の人賞」受賞。


初めて知りました。第一次大戦のことは青島要塞攻略くらいです。
誇らしく思います

ここを訪れたことがあります。
小さな湾がある高台にあって、穏やかなところ。新しい花がたむけられていたので、マルタの人が墓守をしてくれているんだと、なんだか温かい気持ちになったのを思い出しました。

実際船団を守る為に魚雷に突っ込んで命&艦と引き換えに船団を守った事例もあるから本当に美談。

当時の日英同盟は我々が思っている以上に結びつきが強かったんだろうなあ。

昭和天皇は日英同盟の破棄を何より憂慮していました、島国日本にとって大陸国であるドイツやイタリアとの同盟より同じ島国であり世界各国に拠点を有する英国との結びつきを維持することのほうが国益に繋がるという事を理解されていたようです

人生このかた聞いたことがない
初耳でした
いい記事を書いてくれてありがとう


なんだか泣けてくる。これぞ大和魂、侍の精神。残念なのはこういった人達から先に死んでいくこと。陸軍ではなく海軍主導で歴史が動いていたら、日本の今も違ってたのかもしれない。

素晴らしい。
だが、それ故に畏れられもし、その後の軍縮で日本海軍は弱体化を余儀なくされる一因ともなったと考えると複雑だな。
恩を仇で返された格好だが、国際社会でのやり取りに不慣れな日本はいいようにやられ、その後の日米開戦に否応無しに追い詰められた。

色んな意味で日本人は強い
こういう話しをもっと教えるべき
戦争賛美ではなく日本人賛美として

安倍総理は首相として初めて現地の墓参をしたわな


日本艦船が護衛に付かなければ出航しないと言った船長もいたとか
しかしたった20数年余りで日本は真逆な方向へ行ってしまった
それは何故なんだろうと思うよ

第一次大戦の頃迄の指揮官は明治維新から日清日露の実戦をくぐり抜け、戦功によって出世した人が多くいた。部下を思いやる人物が出世していた。そして部下からの信頼を得られる人物が上にいた。
軍隊の場合、学歴だけでは人は言う事聞かない。
軍人は共感して初めて生命を共に懸けて戦い戦果が挙げられる。

この頃の日本の外交センスを取り戻してほしい。今は世界の便利屋かATMでしかないと思う。

今は世界の便利屋かATMでしかないと思う
両方です( ー`дー´)キリッwwww


サムライ・スピリット!
明治の御人は素晴らしい!

案外この活躍によって、米英仏が【日本は危険である】と認識して、
早いうちに開戦させて芽を潰そうと決心したのかも知れんね。

先の大戦での軍隊の暴走にどうしても日本人は不信感を持ってるし、あつものに懲りてなますを吹き過ぎてるんだな。しかし、フランスでの自衛隊の行進には感動した


この話、知りませんでした。本当に皮肉な運命ですね。日本人って本当に生真面目な優秀な民族だと思います。しかしそれが「特攻」などと言う悲劇を生みだしてしまいました。そして何十年経っても二つの国から戦争責任について非難され続けていますね。

勝った側にいないと悪者にされる。
歴史は常にそうだね。笑
笑いごとではないか。
でもその後の世界の潮流を変えたのは
東洋人が白人世界と戦ったからだ。
じゃなきゃ未だに世界中が植民地だらけだったね。

数年前に海上自衛隊の練習艦隊がマルタに寄港した際に慰霊に訪れたそうですね。
私も数日違いでマルタに行きましたが、日程の都合でこの慰霊碑を訪れなかったのが心残りです

我が国に限らず、歴史は美談ばかりではありませんが、正しい行いには国民として誇りをもって良いと、つくづく思います。

最後の戦争で負けたからって、それ以前も全否定するのは明らかにおかしいと思う。戦前戦後と通じてアジアで先進国なのは日本だけ。核兵器無しでも欧米と対等にいられるのは日本だけ。


英海軍のジェリコー提督は決して日本軍の貢献を公には認め無かったが、影で色々と便宜を図ったとか。そんなお茶目な話もしてやってくれ。

戦後教育で 日本の悪い面のみ強調した教育を受けた世代がほとんど
正しい歴史を伝えるには 悪い面も良い面も正確に教育してほしいよな