104歳の「大和」元乗組員 「間違いなく世界一の艦だった」
深井俊之助氏は、大正3年生まれの104歳。部屋の中を杖もつかずに歩き、座る姿勢は背筋がピンと伸び、驚くべき記憶力で理路整然と語る。
深井氏は戦前、海軍の通信技術者だった父親の影響から海軍兵学校に入り、終戦まで戦艦乗組員として活動した。そして、いくつかの艦を乗り継ぎ、昭和19年3月、少佐として世界最大と謳われた戦艦「大和」の副砲長を命じられた。
深井氏がその当時を振り返る。
「『大和』は遠くから見るものであって、自分が乗るものとは思ってもいなかった。いざ乗船してみると、その大きさに驚くばかり。なかは迷路のようで、艦の後方に行くとどこにいるのかわからなくなるので、そんなときは階段を上って甲板に出て、艦橋を見上げて確認しました。
艦内は冷暖房完備。艦橋はビルのような高さでしたが、士官や伝令などはエレベータを利用できた。副砲長は艦の序列では上から5番目です。『大和』の乗員約3300名のうち250名が私の部下でした。
進路の指示をした時は足が震えるほどの緊張を感じました。漁船をよけようと思って『取舵15度』と指示しても、艦が大きいから全然曲がらない。いざ曲がり出して舵を戻しても、今度は元に戻せない。どうしようかと思いましたよ。
『大和』は間違いなく世界一の艦だったと思います。今後、これ以上の艦は建造し得ないと思っていたし、当時のすべての米艦船より優れていた。
主砲の46cm砲はいうまでもなく世界一ですが、私が指揮した15.5cm副砲も優れていた。砲弾の初速は毎秒920mと世界最高クラスで、命中精度も極めて高かった。
待遇でも『大和』は優遇されていました。士官の夕食は洋食のフルコースで、ステーキも出た。アイスクリームを食べられるのは『大和』だけで、他の船からも“大和ホテル”だと言ってアイスクリームを食べに来る乗組員がいたほどです」(深井氏、以下「」内同)
深井氏は「アイスを食べよう」と言い出し、頬張りながらの取材となった。話はいよいよ「大和」の戦いに及んだ。
「昭和19年10月25日の朝、フィリピンのレイテ島に向かう途上で米空母部隊を発見し、戦闘になったとき、駆逐艦が突進してきて煙幕を張り始めた。こういう補助艦艇をつぶして、目標が見えるようにするのが私の仕事でした。
一隻目を撃ったんだけど、やっぱり、緊張してるんだね、当たらない。そこで、『600m下げろ』と。距離9000mで撃っているのを8400mにしろといって撃ったが、当たらない。すると、この600mの間に敵艦があることは分かる。これは法則通りで、今度は『300m上げろ』と徐々に詰めて、4発目で当たった。次の駆逐艦も3発目で当たった。
一発当たるたびに、艦内ではわーっと歓声が上がった。あれは痛快だったね。男冥利に尽きます。
『大和』の砲弾は空母『ガンビア・ベイ』にも当たりました。これは商船を改装した護衛空母で、装甲が薄かったので、『大和』の高速な砲弾は船体に当たっても爆発せず、貫通してしまったほどです。そのまま『ガンビア・ベイ』の横を通過しましたが、敵兵は撃ちませんでした。彼らは救助に一生懸命で、こっちもそんな手負いの船を撃ったってしょうがないと思って見逃しました」
●聞き手/井上和彦(ジャーナリスト)
※週刊ポスト2018年8月17・24日号https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180814-00000009-pseven-life&p=1


こういう実体験に基づく貴重な証言も、聞けなくなる日は近い。
思い出したくない悲惨な体験もあるだろうけど、たくさん語ってほしい。

戦史研究をしていて思うのは、実戦を経験されている「戦争体験」をもつ方の言葉と、内地で空襲を受けたというような「戦災体験」の方の話では、受ける印象がかなり異なる。
また、陸軍と海軍、士官と兵隊といった所属や階級の違いによっても、語られていることが全然違ったりする。
何が言いたいかというと、あの戦争は多面的に見ないとその姿は映し出せないということ。
そういう意味でも、深井少佐の証言は貴重だと思う。
大和 (戦艦)
大和は戦艦として史上最大の排水量に、史上最大の46cm主砲3基9門を備え、防御面でも重要区画(バイタルパート)では対46cm砲防御を施した軍艦で、設計はもちろん、ブロック工法の採用など施工においても当時の日本の最高の技術が駆使された。しかしその存在、特に、46cm主砲の搭載が最高軍事機密であったので、建設時から秘匿に力が注がれ、また完成が数日差ながらすでに戦時中になっていたこと、さらに敗戦直後に設計図含め多くの記録が焼却処分されたために、その姿をとらえた現存写真は非常に少なくなっている。

世界一の艦がなんで沈んだの、其処が聞きたいです

飛行機の時代に変化したからだよ

艦隊戦から空母の時代になったから
日本海軍は、頑なにこだわりすぎた

もし、当時の軍部が日清戦争や日露戦争の時のような危機感を最初から持ってたら、あそこまで一方的な敗戦にならなかったんだろうね。
日清も日露も、開戦前から出口戦略を立ててたんだから。
ただ…軍部だけが悪いのじゃなく…
日清や日露の出口戦略…要は戦果に不満を持った朝日みたいなアホマスコミが国民を焚きつけて…
日本は凄いんだ…って煽ったお陰で、選挙を経てそういう軍部が誕生しちゃったんだから、これは日本国全体の責任だが。

自分の乗艦を名誉に思うのは当然だよなぁ

救助に当たっている敵兵たちを撃たなかったというのがいい。
この人自身が生き残ったときの話も聞きたい。

こういうのも武士道

海軍は船を沈めたら、それ以上の攻撃はしません。万国共通です

それは日本軍だけの考えであり、世界的にはアリの子一匹でも逃さずにってのが普通です。
逃せば次からは新たな情報で武装された仲間が押し寄せてくるってのが分かっていなかったのだろうか?

日本海軍は国際法を遵守することで有名だったらしいからな( ー`дー´)キリッ

国際法が通用しないのが、戦争の現場かと思います( ー`дー´)キリッ

船が沈んだ後に投げ出された兵を攻撃する海軍はありませんよ( ー`дー´)キリッ

国際法を破って水に落ちた人たちを撃てば、逆に日本の船が沈んだ時にも日本の兵士が撃たれるということだよね。
お互いに撃たない決まりを守れば、自分の命が助かる可能性も高まるのでは

そういうきれい事で通らないのが戦争だったりもする。
当時の欧米人は日本人なんか劣等民族くらいにしか思ってない連中が主流だし、本土空襲が始まったら普通に民間人に機銃掃射してくるような輩だしね。
悲しいけどね

民間人が撃たれたのは、カミカゼやなんやかやで狂人ばかりだと思われたせいもあると思うよ

オランダの輸送機を見逃したパイロット、英軍艦の漂流兵を250名だかを助けた艦長。
現場はいつの時代も素晴らしい人ばかり。
それに代えて大本営はいつの時代も体たらく。

終戦間際になると、アメリカ側も戦争を終わらせる為にどうすれば良いのか、焦っていたからね。
もたもたしているとソ連に美味しい所をもっていかれかねないし。
日本を降伏させる為に、なりふり構ってはいられなくなっていたのだろう。

既にまともな戦闘ができる状態ではなくなっているのにも関わらず、降伏しない国。
そんな国に対してどう対処すれば良いのか想像してみるのも大事な事だね。

戦争で国際法?なんか通用するはずがない。勝った方がする事が法律。
嫌なもんだな

たとえ戦争中でも法律は守るのが建前。
犯罪が明るみに出れば、責任者は処分されなければならない。だから、上層部は知らなかったことになるか、「軍としてやった証拠はない」ということになる。

まあ大和は戦艦同士の撃ち合いなら負けなかったでしょうね( ー`дー´)キリッ


戦争は戦略、情報、補給、技術、生産ですから
いくら技術的に素晴らしくてもトータルバランスで負けます

戦艦がよくても、負ければ同じ。時代に取り残された戦艦の唯一の拠り所は、世界一という無意味な言葉。

米軍は、武蔵を沈めるのに、多方向から魚雷攻撃をした為、11時間以上かかってやっと沈めた反省から、大和に対して、魚雷を左舷へ集中攻撃させた為に2時間程の戦闘でで沈んだ

当時の水準では魚雷5本も喰らえばほぼ戦闘不能になるだろうという見識の下で、10本以上喰らってやっと沈んだのは、世界海軍史上でも特筆すべきだろう。

確か大和型って航空戦力と連携する前提の設計、運用だっのでは?まともな航空戦力がなければアメリカの戦艦だろうと関係なく沈む

大和型(武蔵と信濃)の建造は、無駄と言われていますが、大和の建造技術は、戦後日本の工業技術の礎となっています。

結局近代の高度な技術ってのはだいたい軍事目的で作った物から来てるのが多いよね。
戦争は良くないけど、それの道具として作った物の技術が現代に活かされていると言う皮肉。

大和も武蔵も最終的には
副砲の装甲の弱いところに落ちた爆弾で
やられたというのは印象深い。

大和は戦艦の一つの夢の果てにある船

戦前から日本は海運、造船大国で
車より船の技術は世界でも肩を並べていた。

艦自体の性能は世界でもTOPクラスではあった。
しかし、いかに優秀でも制空権のない状況ではどうにもならない。
制空権を確保できない状況となってしまった時点で、艦の性能を生かす余地はほとんどなくなってしまっているのですよね。

苦肉の策で機銃を増やすなどの対空兵装の強化を行ったが、航空戦力が健在であれば、その必要はなかったんですよね。

まあ、優秀なパイロットを浪費し過ぎたツケではありますが。
それでも数で来られてはどうにもなりはしないが・・・・・


現在の便利な機材はほぼ軍事機材からの転用ですよね

そういえば、インターネットも元々は軍事目的の通信方法を一般に開放したんだっけね

今カーナビに普通に使われてるGPSだって元はアメリカの国防総省が自軍の機体を監視、管理する為に作ったシステムだし。

自動車だって元々はドイツ軍だったかな?軍用目的で作られたのが最初らしいし

車のエンジンに使われる加吸気の一つ「ターボチャージャー」も元は、戦闘機が空気の薄い高高度迄飛べる様に、戦闘機のエンジン様に開発されたものらしいよ
【感動する話】直立不動で敬礼 『海軍(大和に乗っていた祖父)と海上自衛隊』
私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。
同僚・上司達は制服で出席。
披露宴も御開きに近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
自分が海軍にいた事。
孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで、今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく、酔っ払っていたのが段々背筋が伸びていき、神妙に聞き入っていました。
挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同、すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
私はその後は仕事になりませんでした。

これこれ(TдT)有名よね

これを読みたかった(泣)


かっこいい(泣)

YouTubeからパクるんじゃないwww

だってイイ話だから

敬礼

事実なら、素晴らしい話

ウソ、作り話であってもいいです、
とても良い話

大和、武蔵、この艦名今後使われるのか使われるのなら先代に恥じない護衛艦であってほしいわ

まず、護衛艦やまとはないと思ってます。
むさし、しなのは強襲揚陸型護衛艦に命名されるかなと期待してます
永遠の大和です、静かに海底で永久の眠り
つかせてあげましょう、軍艦大和は永遠の
大日本帝国海軍の旗艦として静かに眠りに
つかせてあげましょう。


大和、武蔵、信濃は永久欠番な気がするなぁ…

個人的には使ってほしい
ただ・・・お隣さん達が大騒ぎするだろうけどwwww